新着情報 講演番号第38

講演番号38 シリーズ福永晋三と往く新説日本書紀09

射手引神社社伝抄録を介して、第一次東征と第二次東征に分かった後の、第二次東征に入った。まず宝満山から菊鹿盆地に帰り、九州を横断、日向の美々津港を出港する。速吸之門(速吸日女神社)で珍彦に海路の案内を頼み、菟狹の一柱騰宮(安心院妻垣神社)に入る。次に、英彦山及び求菩提山の頭八咫烏一族と同盟し、吉野の国栖部らを巡撫する。続いて、英彦山を下り、菟田の穿邑(川崎町)に入り兄猾を伐つ。さらに、菟田の高倉山(金国山)に登り、敵情を視察。天香山の埴を取り、「八十平瓮を以ちて水無しに飴(たがね)を造る」、菟田川の朝原で神武自身が高皇産靈尊の現身となり、顕齋いを為した。十二月、国見丘(赤村岩石山)に赤銅の八十梟帥を破る。
 以上を安心院や筑豊の神社伝承を引用しながら日本書紀と表裏一体の古代史を論じた。貴重な史料を用いている。神武東征に関する必見の回である。福永晋三

新着情報 講演番号第37

講演番号37 シリーズ福永晋三と往く新説日本書紀08

いよいよ、鞍手郡誌に遺された射手引神社社伝抄録を通して、日本書紀が隠した神武東征の本質「神武は筑豊に東征した」に至る経過を初めて発表した。その場所が現在の射手引神社、運命の奇遇を感じる。 日本書紀の神武東征は一次の失敗と二次の成功譚を混合し、ウマシマデ命の瀬戸内海東遷を加えた改竄だったと分析した。射手引神社社伝抄録がなければ、永遠に解けない謎となるところだった。筑豊の古伝承のすごさがここにある。

新着情報 講演番号第36

講演番号36 シリーズ福永晋三と往く新説日本書紀07

いよいよ、日本書紀の神武天皇紀の冒頭、神武東征謀議について、通説(江戸時代から令和の今日までの神武東征コース)の解釈と併せて概説をまず話した。続いて、再び神武東征謀議を福永説の立場から語った。その後、教室の皆さんと質疑応答。この中に数々の古代史へのアプローチの仕方が認められる。
 次回は、とうとう「神武は筑豊に東征した」の福永説の根拠となった射手引神社社伝について語ることとなる。

新着情報 講演番号第35

講演番号35 講師:内倉武久 「安閑天皇らも豊前にいた」

安閑天皇と言ってもすぐにピンとこないでしょう。でも日本で二番目に大きい古墳に葬られていた可能性が高い天皇です。
彼は福岡県香春町勾金にいた熊襲族出身の天皇とわかりました。

新着情報 講演番号第34

講演番号34 シリーズ福永晋三と往く新説日本書紀06

神代最終章。日本書紀では、神武天皇からが人皇の時代で、父のウガヤフキアエズ尊は神代に分けられている。詳細を言えば、神武45歳の東征謀議からが神武即位前紀となる。

 第6回は、神武の創建した邪馬台国(倭国)の前王朝すなわち(漢)倭奴国を取り上げた。中国史書(主に范曄後漢書韓伝・倭国伝)に基づき、日本書紀の記述を精査すると、景行天皇紀の肥前国征討譚の部分が父のウガヤフキアエズ尊と十代後半の磐余彦との佐賀平野攻略戦という史実を述べてあり、吉野ケ里遺跡等との関係が浮かび上がる。「新説・日本書紀」の立場から神武天皇15歳~45歳を神代最終章に分別した。

新着情報 講演番号第33

講演番号33 シリーズ福永晋三と往く新説日本書紀05

神代の総括。
「新説・日本書紀」の講義でありながら、主に古事記に拠るのは、豊国の神々の系譜が改竄されているからである。
古事記の方が「万世一系」の色合いが濃く、古事記が「日本紀の系図」ではないかとの説もある。
その違いを踏まえて、やっとスサノヲ対アマテラスの対決すなわち天孫降臨(天神降臨)の史実を抽出した。
さらに、英彦山の神と宗像大社の神の正体を明かし、天武朝に英彦山の神が宗像に「移座された」史実も抽出した。
「新説・日本書紀神代」を語ったつもりである。
次回は、金印で有名な「委奴国」の歴史を述べる予定。

新着情報 講演番号第32

講演番号32回 講師 鶴田裕一 「さざれ石の巌となりて」から考察する日本国家の成立について

さざれ石(細石)つまり小さな石が、大きな岩(巌、いわお)と成ることがあるのだろうか。国歌にあるこの文言について皆さんはどう考えられるだろうか。
現在、神社には、地中奥深くで高温と高圧によってこれまで人々の目には触れなかった岩石が、「細石」という名の下に設置されている例を多く見ることができる。
しかし、地中深く埋もれ、これまでは見ることができなかったものである。
これを「細石の巌となりて」と考えるのでなく、従来から人々の目に触れ、神社等に設置されていたものと考えるべきなのではないかと思う。
いかがであろうか。
今回は北部九州等に点在する「細石と巌」と考えられる例を見ていただく。
そして、そこに秘められた人々の願いを探ることとする。
なお、前回考察した「邪馬壹国」と「邪馬臺国」の読み方についても触れた。
結局、「壹」と「臺」は形が似ているから間違えたのではなく、音が同じなので違う字を使ったということなのである。
どちらも「い」と読む。誰も間違っていない。
「やまいこく」と読むべきなのだ。

新着情報 講演番号第31

講演番号31 講師:内倉武久 演題:継体天皇は「豊の国」にいた。

内倉武久(うちくら たけひさ)
1943年生まれ。鹿児島県出身。慶応義塾大学法学部卒。新聞記者として奈良、京都、福岡、佐賀各県など西日本各地で取材活動。

朝日年鑑「文化財・考古学」(1987-92年版)欄執筆。著書に「謎の巨大氏族・紀氏」(三一書房)

「太宰府は日本の首都だった」「卑弥呼と神武が明かす古代」「熊襲は列島を席巻していた」(以上ミネルヴァ書房)などがある。

2004年から「九州古代史研究会」主宰。

ブログ↓↓ うっちゃん先生の「古代史はおもろいで』

https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/

新着情報 講演番号第30

講演番号30 邪馬壹(臺)国の成立と全国統一へ
~筑紫はいかにして拡大したのか~ 講師:鶴田裕一

天孫降臨が邪馬壹国の成立をもたらした。両者はつながっている。卑弥呼の魏への遣使は、成立より七、八十年ということなので、その始まりは倭国大乱と重なる。

起源は、その時期と想定される。

邪馬壹国は徐々に勢力を広げている成長株であり、朝鮮半島の状勢に手を焼いていた魏は、期待すること大であったに違いない。

中国内部では、魏から晋へと移り変わっていくが、倭国では旧勢力である出雲を圧倒して、筑紫が全国を統一していく。

筑豊勢力もその一翼を担い、各地へと発展していく。

国郡県邑を制定し、権力機構を構築した倭は、朝鮮半島へと進出する。

その結末は?

新着情報 講演番号第29

講演番号29 シリーズ福永晋三と往く新説日本書紀4

 新説・日本書紀の4回。テキストは③のままです。前回、田川の大物主神の子孫が現在の出雲に流されたという話をしました。

 今回は、本家豊国(遠賀川流域)の大物主神の歴史です。古事記の「大国主=大穴牟遅(大物主)」が大きなトリックでした。

 大物主が初代の渡来神であるとすると、大国主は17代後の子孫であって、天孫(実は天神天忍穂耳尊)に豊国を奪われた神でした。そのことを記紀は「国譲り」と美化していたのです。

 次回は、スサノヲvsアマテラスという「豊国盗り物語」に入る予定です。福永晋三