講演番号41 シリーズ福永晋三と往く新説日本書紀1
新型コロナに翻弄されながらもようやく10回を迎えました。年末ということもあり、神武崩御まで話をさせてもらいました。
国見丘(赤村岩石山)で八十梟帥を討った神武は、馬見物部氏の末裔の駒主命に迎えられ、帝王山(擂鉢山)を越えて嘉麻の地に入った。日本書紀から削られたと思われる筑豊(主に田川郡・嘉穂郡・鞍手郡)の神社伝承を追いながら、日本書紀の記述を増やして神武第二次東征を復元した。今回は特に、嘉穂郡に神武東征に由来する地名の多いことを取り上げ、嘉穂郡の立岩遺跡を囲む古遠賀湾の海で、「熊野の海戦」があったことを力説した。また、京都郡に伊勢津彦という賊がおり、神武は田川郡の春日神社にいた天日別命を派遣し、伊勢津彦を東の地に追いやった。伊勢津彦らの辿り着いた地こそ、今日の三重県の伊勢であった。筑豊の神社伝承は日本書紀の隠した歴史事実を復元する力を秘めた貴重な伝承であることを再び力説した。
福永晋三